相模大野。

朝7時半過ぎ母よりの電話で起こされる。
ばーちゃんが亡くなった。
また連絡するとのこと、で11時半頃に再度電話。
遺体が自宅に帰ってきたと。
ただし、通夜は19日の土曜日。
告別式は20日の日曜日になるとのこと。
今日は仕事が休みなので
ばーちゃんの顔を見てこようと思い
シャワーあびて1時過ぎに中野を出発。
旦那は仕事に行っているので
メモだけ残し、とりあえず1人で。
2時半頃相模大野到着。
お供えするものなんかを買い
バスに乗り込む。程なくしてばーちゃんち。
家にあがって先ずは顔を拝んで
線香をあげる。
きれいな顔をしてた。
そんなに苦しまず逝ったんだなぁ〜。
享年95歳。
大往生だと思う。
ここ2、3年はこどもに戻っていたけど
しあわせだったんじゃないかと思う。
明治生まれ。
苦労もあったと思う。
戦争経験ももちろんあるし。
小学校の教員をしていた。
師範学校(今でいうと大学)行く前の
女学校時代は弟を背負って学校に通ったとか。
旧姓が小森で子守りしながらなんて
そんなこと言ってたよなぁ。

5時半過ぎ旦那も来てくれた。感謝。
私がごはんの支度をし、母とおじさんと
旦那と私の4人で飲みながら
いろんな話をする。
ばーちゃんの話、じーちゃんの話、
敦賀(母たちの故郷)の話などなど。
おじさんが1番しゃべってたけど(笑)。
私たち夫婦がいることで少しは
悲しさがまぎれたみたいだった。
思いのほか長居することになってしまった。
それに付き合ってくれた旦那には
本当に感謝している。
とーちゃんが亡くなったときもそうだったが。
他人の悲しみにとてもやさしい。
こういうとこはとても尊敬できるところだ。
ただ、自分にもやさしい(あまい?)んだよね。
そこはもうちょっとなんとか、とか思うんだけど。

そうこうして、地元に戻ったのは夜の1時過ぎ。



小腹空きましたのでYつきにてマルチョウや
豚足、タン刺し他など食べてから帰りました。